ストーリー
運命とは不思議なものだ。振り返ってみると「自分は単にレールの上を歩いている」だけなのかと思うことがある。また「運命とは決して変えられないもの」だとも思う。でも本当に運命は変えられないのか?
「アジャストメント」という映画がある。このドラマでは運命は「神」によって操作されている。この運命から逸脱しようとすると、「神」の部下たちによって方向を修正されてしまう。
予告編をどうぞ。
主人公は理想の女性と巡り合う。そして愛し合う。ところがこの運命は「神」が意図したものではなかった。この運命を修正するため「神」たちは主人公を追っかけまわす。そして主人公は「神」を敵に回し、彼らより早く決断し行動するのだが・・・。
僕は自分の進路で迷ったとき、「楽な道」か「いばらの道」かどちらを選択するか考える。多くは「いばらの道」を選んできたかもしれない。何故ならそちらの方が自分に実力が付くと思っていたからだ。
でも今考えてみると、「楽な道」を選択した方が良かったと思う。何も自分が苦しむ必要はない。周りを見ていると「そつのないスマートな人間」ほど世渡りがうまい。敵も作らないし、出世も早い。
人間社会から隔絶された「砂漠」にでも住まない限り、人間関係を断ち切ることは出来ない。自分の人生を自分で決められないことが多い。特に会社員はそうだ。
人事権は会社が持っている。自分のやりたい仕事、自分の働きたい場所は選べない。かといってフリーランスはどうかと言うと。よほどの実力が無ければ自分ひとりで飯を食うことは出来ない。
日本社会に「階級はない」と言うけど、残念ながら誰も信じない。医者の子供は医者になるし、政治家の息子も政治家になる。社長の子息は社長になる。人生のスタート地点がそれぞれ違うのだ。
僕らの時代、小学校には必ず「二宮金次郎」の銅像があった。「貧しくても努力すれば大成する」と刷り込まれた。でもある程度の年齢になると、これは「ちがうぞ」と分かってくる。
この考えで行くと、運命の7~8割は既に決まっている。だけど残りの2~3割はひょっとしたら自分で切り開けるかもしれない。そんな風にも思う。
切り札は「健康」と「長寿」だ。僕は現在70才。運よくあと20年生きられるとすれば、一仕事、二仕事くらいやり遂げる時間はある。さらに、その時の運命の自由度はサラリーマン時代より高くなると思う。
冒頭の「アジャストメント」という映画では主人公デヴィッドが自分の書き込まれた運命にあらがう・・・白紙の運命を求めて。同じように。僕たち老人にもひょっとしたら「死神」が迫ってきているかもしれない。そんな「死神」や「運命の神」を出し抜くには彼らより「早い決断と行動」が必要だ。
時は待ってくれないから、毎日毎日が重要だ。即断即決で新しいことに挑戦してもいいかもね。ぐずぐずしていると「死神」に追いつかれてお陀仏だ・・・。
TATSUTATSU
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「連鎖する惨劇」
「クリスマスの雪女」
「幽霊が見える男」
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