ストーリー
予告編をどうぞ。
あなたは「オッド・トーマス死神と奇妙な救世主」という映画をご存じだろうか。監督:スティーヴン・ソマーズ、主演:アントン・イェルチンのミステリードラマだ。
話のスジを少し紹介するとオッド・トーマスは何のとりえもない20才の青年だけど、彼は特殊能力を持っている。それは死者の魂つまり幽霊が見えるのだ。そしてこの能力を使って難事件を解決してゆく・・・こんなストーリーだ。
ここに出てくる幽霊たちが半端ではない。色々な人たちに取りついている。幽霊の見えない僕としては、ひょっとしたらこんな風に見えるのかなと参考になる。
しかし、現実社会にも「幽霊が見える」人たちは結構いる。実は僕の後輩で「見える男」がいるのだ。彼の話をしよう。
彼は非常にまじめな男だ。嘘をつくような男ではない。でもこの「見える」能力を重荷に感じているようだ、いつもおどおどしている。
彼が一番怖い体験をしたのは夜遅くまで残業していた時の出来事だ。トイレに行こうと廊下に出たところ、薄暗い廊下の先から「落ち武者の亡霊」がこちらに向かってくるのを見た。ちびりそうなくらい驚いた。それ以来残業が出来なくなったとのことだ。
彼が言うのは、幽霊はいつでも見えるとは限らない。見える時は明るい昼間でも見えるらしい。体調とも関係すると言っていた。常に見えていれば慣れると思うが「見えたり、見えなかったり」すれば神経が休まる時が無い。僕なら発狂してしまうかも。
彼は時々、背中や肩越しに幽霊を見かけるそうだ。幽霊は空気のように人々に取りついているのか・・・。その幽霊は取り憑いているだけなのか、それとも何らかの影響を宿主に及ぼしているのか。
僕はジョークのつもりで「僕の背中に何かくっ付いているかい」と聞いたことがある。彼は笑いながら「大丈夫ですよ」と言ってくれた。でも彼の眼は僕の顔ではなく肩越しを見ているように感じる。ひょっとしたらそこに何かがいて、僕に「いない」と気を使ってくれたのかもしれない。
幽霊を科学的に研究しているところがある。例えば「新潟大学脳研究所」のレポートを参考にすると。畠山先生は「私たちが見ている世界は、私たちの目に映った世界そのものではない。私たちが見ていると感じるのは、視覚情報をもとに、脳が都合よく解釈し、作り出した虚構の世界だ」と言っている。
脳が損傷を受けると「錯視」という現象が起きる。静止しているはずの対象が動いたり、椅子が浮き上がったようにみえたり、動いているものがコマ送りのように認識されるそうだ。
今度は目から入ってくる情報が限られると「幻視」という症状が現れる。ある患者が実在しないネコや座敷わらしが見えるようになったと病院に来た。良く調べると右下の視野が欠損しており、脳がその部分を補うように「幻視」を見せていたとのことだ。
幽霊などの一部はこの「錯視」、「幻視」に起因するものがあると思うがすべてが説明できるかというとノーだ。やはり説明できないものも多いと思う。
古戦場の跡地には「霊道」というものがあって。時と場合によって鎧武者の行列に出くわすことがあるそうだ。彼らはどこに向かって歩いてゆくのか、いつになったら成仏できるのか・・・。
現代の進歩した時代であっても説明できないものは沢山ある。僕は時々、自分はもう死んでいて空気中を漂っているのではないかと思うことがある。脳が「虚構の世界」を作っているのであれば、自分は本当に生きているのか、生きているならその証拠はどこにあるのか・・・。
TATSUTATSU
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