ストーリー
日々、暮らしにくくなっている昨今、何によりどころを求めればよいのか。何もしなければ時間だけが過ぎてゆく。かといって、自分にノルマを与えすぎるとメンタルに来てしまう。そんな時の箸休めに「寝る前の5分間で読むチョイ恐ミステリー」でものぞいてみて。
昨日、自殺する夢を見た。僕は何階建てかのビルの階段を上ってゆく。この建物は自殺する人々が登ってくる。部屋に入ると「死者の装束」に着替える。この服は和服のような感じだ。胸には刺繍がほどこされていて良く目立つ。
僕は部屋の入り口で毒入りの飲み物を飲まされ、部屋の奥の床に横たわる。そこには何人かの人たちがいて、順番に息を引き取ってゆく。安らかな死、みんな笑顔だ。音楽も聞こえて来る・・・天国のようだ。
僕も彼らと同じように息を引き取ってゆくと考えていた。ところがいつまでたっても死なない・・・死ねないのだ。仕方がないから、起き上がって部屋から出て階段を下りてゆく。
途中の部屋には死んでからかなりの月日が経っているような遺体もあった。ミイラ化している。僕は死人たちを見まわす。男も女も、若者も老人もいた。死体は日にちが経つにしたがって醜くくなってゆく。これが現実なのだ。「死」は決してきれいではない。
僕だけが生きていて部屋を動き回るのが不思議な感覚だ。何故、みんなと同じように死ねないのかと悩みながらビルの中を夢遊病者のように動き回る。目の前に美しい女性の遺体があった。僕なんかの年寄りと違って光り輝いている。
何故、こんなに若くして死んでしまうのか僕には理解できなかった。階段を下りてビルの1階までくる。ビルから外へ出てみる。外に出ると皆が僕を見る。「死者の装束」を着ているからだ。
通行人たちが尋ねる。「あなたは何故死なないのか」と。僕にもよく分からないが「死ねない」と答える。そして、人々の視線を受けながら一本道を進んでゆく。前方の空は鮮やかな夕焼けだ。よく見ると、行く先には大きな河が横たわっている・・・・夢の記憶はそこまでしか残っていない。
夢占いによると「自殺の夢は自分自身が生まれ変わりたいと言う願望である」となっている。もしそうであれば、「死ねないとは」・・・生まれ変わりたいのに変われないと言うことなのか?僕はもう今年で70才を過ぎている。
もう人生も残り少ない、本当は生まれ変わって残りの人生を素晴らしいものにしたいと考えている。あと10年生きられるか15年生きられるか分からないが毎日が今ほど貴重に感じることは無い。
何でもかんでもやりたいと考えるが、残念ながら体がついてゆかない。夜更かしすれば次の日にダメージが残る。本を読みたいが目が疲れる。無理に体を使えば、腰に来る。筋肉も疲労し足がつって階段から転げ落ちそうになる。
この歳から新たな人間関係を構築するのは気が疲れる。さらに年金生活でお金を浪費できないプレッシャーに悩まされる。残念ながら日々のスケジュールが囚人のように固定してゆく。
あるひとによると自殺の夢は「自分自身の清算であり、不安とか心配に押しつぶされている」ともいう。つまり「危険な精神状態」と言える。
そういえば道行く人々の僕に向けられる視線が怖い、心に突き刺さるようだ。「早く死ねばいいのに」と言っているような道行く人々の顔が思い浮かぶ。過去の愚行が脳裏をかすめる。
大河の前で夢は途切れている。その大河とは日本の河ではない。アマゾン川か、黄河、揚子江・・・・いや違う。あの黒々とした流れのはやい河・・・。
僕はガンジス川だと思う。インドにあるこの川は「聖なる河」と呼ばれる。この川で沐浴すれば罪が清められると言われている。また、川岸で火葬し、死者の灰を川に流すことは無上の喜びと感じる。
夢の最後まで覚えていないが、この河に飛び込んだ気がする。或いは、町行く群衆の中に「僕をあの世に連れてゆこうとする死神」に突き落とされたかもしれない。
河の中は漆黒の闇・・・僕は必死で泳ぎ、向こうの岸に泳ぎ着いたのか。何故なら、目覚めた時清々しさを感じたからだ。
今までに一度も見たことのない「自殺の夢」。こんな夢が年末に見られるとは・・・そして夢の中であっても決して「死ねない」。まだ、生きようとする意識の表れか・・・。
TATSUTATSU
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「僕の金縛り体験記」
「連鎖する惨劇」
「クリスマスの雪女」
「幽霊が見える男」
「緑の少年」
「真夜中の鏡の怪」
「死相が顔に現れる」
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