ストーリー
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現世と来世(又は冥途・死後の世界)がある。現世とは今、我々が生きている世界だ。そして人々が亡くなってからの世界が来世だ、冥途ともいう。100%の人々が将来、来世に行く。
我々日本人には仏教思想が深く浸み込んでいる。来世は現世と連続するところに存在すると考えている。そして死者は「お盆」「お彼岸」「命日」には来世から現世に戻ってきて子孫たちと一緒に過ごすことが出来る。
「お盆」には茄子やキュウリに割りばしで足をつけてお仏壇に供える。そしてそれらは川や海に流す。もう忘れられてしまった風習だ。
ところが僕たちは現世にいながら来世を垣間見ることがある。あまりに長く来世に留まると戻れない。すぐに現世に戻らなければいけない。
「異人たちとの夏」という映画がある。主人公が12歳の頃に亡くなった両親に浅草で出会う。両親は昔のままで元気そうだ。自分の方が年上だが、若い両親に甘える。そして時々両親の処へ行く。
「父と暮せば」という映画では、原爆で死んだはずの父が娘の前に出てくる。そして一緒に暮らし始める。これを逆にしたドラマが「母と暮らせば」だ。死んだはずの息子が母のもとに帰ってくる。
このような映画やドラマはもの凄く多い。亡くなった人でも心の中で生きている。だから「来世は現世と連続するところに存在する」という概念は消えない。
僕はある人から、来世を垣間見たことがあると言われた。彼が体験したのは、ある夏の昼下がり久しぶりにお墓参りをした時だ。近くのベンチで一休みしていた時、突然、亡くなったはずの母が現れる。
「みんな待っているからおいで」と言う。母の後についてゆき、昔住んでいた懐かしい家に入る。家には、父とお爺さんがいた(二人とも亡くなっている)。ちゃぶ台を囲んで夕食だ。母は僕の好物の牛肉を甘辛く炒めて出してくれた。
おひつに入った白いご飯と、赤だしの味噌汁。美味しくて涙が出る。僕はまた来ると言い残して家を後にした。暫くして僕はまだベンチにいた。もう夕暮れだ。白日夢かとも思うがあまりに鮮明だ。今でもはっきりと細部まで思い出せる。
また、ある人は森の中を散策中、不思議な広場に出る。そこに入ったとたん空気がかわった。心地よい風と、柔らかな光、何とも言えない甘い香りに包まれる。あまりに心地よいのでここにずうっと居たいと思った。・・・気が付くと広場を出ていた。今の場所は何なのか?
さらに、こんな話も聞いた。仕事が忙しく、終電になってしまった。駅からの帰り、少し暗いが近道しようと路地に入った。ところが行けども行けども家につかない。しかも、見たことのない路地が続く。同じところをぐるぐる回っているように感じた。
空を見ると、月と北極星が見えた。それを頼りに進むと、見覚えのある通りに出た。それ以降、何度もその路地を探したがみつからなかった。
これらは、ひょっとしたら「来世」ではないのか。現世を超えて偶然にも来世に踏み込んでしまった。現世と来世の境目があるのだ。境目はどこにあるのか、そしてそれは移動したり消えたりするのか。
日本の行方不明者は年間8万人にものぼる。この中の何人かは「来世」や「異次元」に紛れ込んでしまったかもしれない・・・。あなたも気をつけましょうね。「来世」から戻れなかったら死んだことになりますよ。特にトンネルは危ない。
TATSUTATSU
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「僕の金縛り体験記」
「連鎖する惨劇」
「クリスマスの雪女」
「幽霊が見える男」
「緑の少年」
「真夜中の鏡の怪」
「死相が顔に現れる」
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