映画「フラットライナーズ」にみる臨死体験
「フラットライナーズ」は1991年に日本で公開されたアメリカ映画だ。若い5人の医学生たちが人工的に心臓を停止させ1分後に蘇生させて「臨死体験」をする。「フラットライン」とは心電図や脳波の波形が平らになること、つまり「死ぬ」と言うこと。
ネルソン(キーファー・サザーランド)達は夜の大学に集まりこの危険な実験を行う。実験は上手くゆき彼らは「臨死体験」によって不思議な世界を垣間見る。ところがしばらくして恐ろしい幻覚に襲われる。
ネルソンは大昔にいじめによって木から転落死させたビリーの幻影に悩まされる。他の連中も同じように過去のトラウマが実態を持って目の前に現われる。
しかし、彼らはそのトラウマに対し真剣に謝罪し幻覚から解放される。ところがネルソンだけはビリーの幻影から逃れられない。現われたビリーの幻に謝罪し墓参りによって罪を許してもらおうとするが、彼は許してくれない。
ネルソンは追い詰められてゆく、そしてもう一度「臨死体験」によってあの世のビリーに許しを乞おうと危険な実験に再挑戦するのだが・・・。
この映画では「臨死体験」によって過去のトラウマが実態を持って現われ自責の念にかられる。こんなことが実際にはあるかもしれない、そしてそれを契機に自分を見つめ直すことが出来れば生き返った価値がある。
日ごろからこんなトラウマを残さないように穏やかに生きるべきだね、そうしないと、もし来世があるならそこで苦しむことになる。
このドラマは「フラットライナーズ(2017)」としてリメイクされている。キーファー・サザーランドもゲスト出演している。でも批評家からは酷評されている。あなたはどう判断するのかな?
僕も見に行こうかな(2017年12月22日公開)と思っていたけど、現在悩み中・・・。(PS:DVDで見ました。残念ながらあまり怖くなかった。)
映画「ヒヤーアフター」にみる臨死体験
2011年日本公開のアメリカ映画だ。クリント・イーストウッドが監督をしている。「ヒヤーアフター」とは「来世」と言う意味だ。あの世のことだね。
主人公のジョージ(マット・デイモン)は小さいころの病気が原因で、死者の世界を見ることの出来る霊能者だ。彼はかつてサイキックとしてマスコミの世界で金を稼いできた。
彼は会った人間の手に触れることによって、その人間の過去の出来事や亡くなった人たちのことまで分かってしまう。せっかく知り合った女性も気味悪がって離れてゆく。ジョージはこんな生活にウンザリして一人静かに暮らしている。
マリー(セシル・ドゥ・フランス)は真実を追求するジャーナリストだがあるリゾート地で津波に遭遇する。荒れ狂う海水の中で死にかけ、臨死体験をする。その体験から彼女はスピリチュアルな世界にのめり込んでゆく。
彼女は自分の体験を「ヒヤーアフター」として本にまとめる。もう元のジャーナリストには戻れない。そんな二人がロンドンで出会う。そしてお互いに惹かれあう、それはお互いが「死者の世界を見る」能力を持っているからなのか・・・。
この映画は事実(と思われる?)を淡々と描いており、オカルトとかホラー的な演出はなされていない。少々ドラマとしては物足りないかもしれないが、それが返って本物らしさを生んでいる。
「死者の世界」「あの世」とは本当に存在するのか?製作総指揮のスティーヴン・スピルバーグ、クリント・イーストウッド監督、マット・デイモン等が真剣に取り組んでいるほど魅力的なテーマなのかもしれない。
映画「マーターズ」にみる死後の世界
2009年に日本で公開されたフランス・カナダ合作のスプラッター ホラー映画。あまりに残酷で暴力的なので、見るのは要注意だ。2016年にハリウッドでリメイクされている。
「マーターズ」とは「殉教者たち」と言う意味だ。「マーター(殉教)」とは「信仰のために死を選ぶこと」で、語源のギリシャ語は「証人」を意味する。
キリスト教徒による「殉教」が特に有名で、彼らは拷問や迫害によっても棄教せずに死んでゆく(沈黙-サイレンス-を参照)。彼らが死ぬ間際に見る世界こそ「死後の世界」ではないか、そしてその世界を知る為の組織が作られる。
その組織は少女たちを拷問にかけて、死ぬ間際に「死後の世界」を垣間見ることが出来る「殉教」と言うレベルに到達させる。こんな恐ろしい実験が繰り返され「死後の世界」を解明しようとする。
過去17年の実験で「殉教」の段階に到達できたのはわずか4人でそのうちのただ一人アンナ・アサウィだけが「死後の世界」をはっきり見たと考えられる。彼女は「死後の世界」を生きている人間に証言してくれた「証人」だ。「臨死体験」とは異なる正真正銘の「死後の世界」だ。
ほとんどの人間は苦痛に耐えかね、「悪魔」を見る。その悪魔は自分の人格から分離されたものだが、それに襲われ、最終的には自殺に追い込まれてゆく。
この「死後の世界」がどんな世界かマドモアゼルはアンナから直接はなしを聞く。ところがマドモアゼルは「死後の世界」を他の誰にも漏らすことなく自殺してしまう。彼女は「死後に何があると思う?」「疑いなさい」と言って拳銃を口にくわえる。
マドモアゼルがアンナから聞いた「死後の世界」は本当にあるのか、それともないのか?結局、視聴者が自分たちで判断しなければならない。
何故、マドモアゼルは自殺したのか・・・「死後の世界は生きている人間がけっして知ってはならない世界なのか」或いは「死後の世界は存在しない、ただ単に虚無だけなのか」。
僕の臨死体験
僕は病気で大量に下血し、死にかけたことがある。たまたま、倒れた場所が病院の近くで、周りに人がいたため大事には至らなかった。(もし、密室で倒れていればあの世に行ってたかもしれない。)
倒れて意識を失う瞬間は今でも覚えているが、目の前をシャッターが上から降りてくるような真っ暗な世界を体験した。痛みは無く意識が遠のいてゆくのを感じた。しばらくして意識が戻ったが、その時体中がひりひりと痛むのを感じた。生きていることは痛みを伴う事なのか。
残念ながら、世間一般に言われるような「臨死体験」はしていない。しかしこの経験から、死に対する考え方が変わった。それは「死とは身近なもので怖いものではない」と言う事だ。
それから数年後に心臓の手術をしたが、この場合はしばらく心臓が止まっている。心臓は定期的に動かさないと完全に止まってしまうので、断続的に止めては手術をするらしい。しかしその間は「人工心肺」が動いて体中に血液を送っている。
残念ながら、その時も「臨死体験」はしていない。或いは覚えてないのかも知れない。よく言われる手術中に幽体離脱して「天井から自分の手術場面を眺めていた」というようなことはなかった。「臨死体験」は個人差が大きいと言われている。僕の場合は、ただ単に「鈍感」なのかもしれない。
まとめ
1991年NHKにて「立花隆 臨死体験~人は死ぬ時何を見るのか~」が放映され大反響を巻き起こした。この番組は僕も見ていた。(以下はこの番組等も参考にしています。)
「臨死体験」でよく言われるのが、「トンネル通過」「体外離脱(幽体離脱)」「死んだ親族に会う」「光の生命に出会う」「自分の人生を走馬灯のように見る」「あの世とこの世の境界をさまよう」・・・など色々とある。
特に面白いのが「体外離脱(幽体離脱)」で心臓麻痺で倒れた女性が「体外離脱」し病院の3階の窓の外にテニスシューズがあるのを確認している。このシューズは病室から全く見えないところにあり、空中を浮遊でもしないかぎり見えないことが確認された。
また、心筋梗塞で倒れた男性が手術中に幽体離脱し、自分の手術をじっと見ていたとの証言がある。彼は手術の状況をこと細かく証言し、その証言の正確さに医師たちをびっくりさせた。
「臨死体験」は脳が幻覚を見させているのだと考える学者がいる・・・「脳内現象説」。それに対し、脳が魂・心を作り出しているのではなく「魂は別に存在する」と考える学者がいる。
この説を唱える学者は重い脳の病気で昏睡状態になりながらも「死後の世界を見ていた」と証言している。もし脳が幻覚を見せているなら、脳が働いてないのに何故「死後の世界」が見えたのかと主張している。
よく「虫の知らせ」と言われる現象がある。ある家族が体験した出来事だ・・・真夜中に靴音がして玄関が開いたから誰かが帰ってきたと思っていた。翌朝家族に聞くと夜中に帰ってきた者は誰もいなかった。そしてあとで分かったことだが、その時刻に肉親が亡くなっていた。
真夜中なのに台所から話し声が聞こえたそうだ。翌朝、家族の何人かがその話し声を聞いていた。そしてやはりその時刻に肉親が亡くなっていた。
これら「虫の知らせ」は魂の存在抜きには説明しづらい、特に血のつながった者同士は魂との結びつきが強くこんな現象が生じるのかもしれない。
最後に、僕が体験した出来事だ。新入社員のころある営業所に配属になった。そこには独身寮があり、あいていた部屋が一つしか無かったのでそこに布団を敷いて寝ていた。
ある夜、ひどい「金縛り」にあって全身から脂汗が吹き出したことを昨日のように思い出す。あとから知ったことだが僕が寝ていた場所は飛び降り自殺した先輩が寝ていた場所だった。僕は長いこと生きているが「金縛り」は後にも先にも、この一回だけだ。
取り留めのないことを書いてきたが、僕は以上の「臨死体験」や「超常現象」を未だに100%信じていない。僕は無神論者で(都合のいい時だけ神頼みはする)鈍感なタイプだ。でも後から振り返ってみると「幸運」や「虫の知らせ」的なことが間違いなく有ったような気がする。
多くの友人や知人たちを見送ってきた、自分がこの年まで生きながらえてきたこと自体が奇跡かも知れない。時々、もう既に自分は死んで、空中をさまよっているような気がしないでもない。
TATSUTATSU
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