サマリー
人間は心の中に誰でも「闇」を持っている。「闇」がバケモノのパワーによって増幅されると手が付けられなくなる。だからバケモノと人間は一緒に暮らせないんだね。
ところがバケモノの熊徹(クマテツ:熊の顔をしたバケモノ)は九太(キュウタ:人間の世界では蓮)と言う人間の子供(9才)を育てる。彼は一流の剣士(あるいは闘士か?)だけど、気が短く粗暴な性格だから一人の弟子も寄り付かない。
九太は人間界では一人ぼっちだ、だから迷い込んだ渋天街(バケモノの街)で熊徹に会い、いやいや弟子になる。
二人の関係は最初、最悪だね、でも熊徹の悪友 多々良(タタラ:サルの顔をしたバケモノ)と百秋坊(ヒャクシュウボウ:豚の顔をしたお坊さん)が九太を勇気づけ、彼は熊徹にしごかれ次第に一人前の剣士になってゆく。
熊徹たちバケモノは仲間を疑うことを知らない純真な心を持っている。ひねくれた九太はバケモノ達の純真な心に触れ、人を信じるようになってゆくんだね。
8年後青年に成長した九太は人間界に戻る、ふと立ち寄った図書館で本を取り出して読む。ところが漢字が全然読めない、バケモノ界での生活が長すぎたようだ・・・・この後彼は人間界とバケモノ界を行き来する。
でも図書館で知り合った女子学生 楓(カエデ)がやさしく九太に勉強を教えてくれる。九太は人間社会で生きてゆくためには、学校に行って勉強することが必要であると気づかされる。
楓は何かにつけて九太(蓮:レン)を支えてくれる。彼は楓に好意を寄せるようになる。さらに家を出て行った父親にも巡り合う。
渋天街のバケモノ達を束ねる宗師(ソウシ:うさぎの顔をしたバケモノ)は自分の後継者として、熊徹と猪王山(イオウゼン:猪の顔をしたバケモノ)を選ぶ、そして両者が戦い、勝った者が後を継ぐことになる。
熊徹は宗師の跡継ぎとして前評判の高かった猪王山を破り勝者となる。
ところが猪王山の長男 一郎彦(イチロウヒコ)は熊徹の体にに刃を突き刺す・・・・熊徹は瀕死の重傷を負う。
一郎彦は実は人間の子供であった、赤子の時に猪王山に拾われ育てられたのだ。一郎彦の心に出来た「闇」が巨大なクジラに増幅され、九太を襲う。
果たして九太は一郎彦に殺されてしまうのか、そして瀕死の重傷を負った熊徹はどうなってしまうのか、映画を観てのお楽しみだね。
一郎彦と九太
全体を通し、悪い作品ではないが、僕には平板的で、やや盛り上がりに欠ける作品にみえた。
渋谷の街の路地からバケモノの街へ行くシーンは「ハリーポッター」などを思い起こされるし、光輝く巨大なクジラが宙を舞うシーンは「ライフ・オブ・パイ」を連想させる。
また、多々良や百秋坊などは西遊記の孫悟空や猪八戒に、熊徹や猪王山も少し牛魔王に似ているね。
作品のところどころに何処かで見たことのあるシーンが多い。けっこう宮崎駿監督やジブリアニメの影響が出過ぎた作品かなーとも思う。(これは誰もが影響を受けてて、仕方が無いことなんだけど。)
ネットで見つけました 子供時代の九太(宮崎あおい)
ネットで見つけました 楓(広瀬すず)
ネットで見つけました 宗師(津川雅彦)
声優陣もテレビや映画によく出ている人
たちが多く新鮮味に欠ける、でも多々良役の大泉洋さんの声は素晴らしい・・・・彼は凄い才能を持っているね。
細田監督の今までの作品は個性的で素晴らしいが、今回の作品は興行的には大成功したものの、アイデアが少し平凡だね・・・才能が枯渇しかかっているのかな。
しかしトップアニメーターとして斬新なアイデアを出し続けるのは並大抵のことではないだろう。映画を一本作り上げるには、地獄のような産みの苦しみがあるんだろーね。
まあ次回作に期待するしかないね・・・・彼は日本のアニメ業界を背負っているのだから。
2015年公開のアニメ映画、監督・脚本・原作は細田守(時をかける少女、サマーウォーズ、おおかみこどもの雨と雪)。
主題歌はMr.Childrenの「Starting Over」、製作は「スタジオ地図」、配給は「東宝」、興行収入は60億円弱。
厳しいことを言ったが、まあまあな作品なので是非観てほしい。ミスチルのテーマ曲も最高だね。
ストーリー
バケモノの街 渋天街(ジュウテンガイ)、ここには10万のバケモノが住む。このバケモノ達を束ねるのが宗師(ソウシ)と呼ばれるウサギの顔をしたバケモノである。
宗師は年老い、自分の地位を後継者に譲って「神様」になると言う。宗師は二人の有望なバケモノ猪王山(イオウゼン)と熊徹(クマテツ)を心の中で選んでいた。
猪王山は力と品格を兼ね備え弟子も多く、誰が見たって後継者にふさわしい、ところが熊徹は力は凄いが粗暴で気が短い、弟子も寄り付かない・・・・両者が戦わなくっても後継者は既に決まっているようなものであった。
少年 蓮(レン)は一人ぼっちだった。お父さんは離婚し何処かへ行ってしまった、そしてお母さんも交通事故で亡くなったばかりだ。
蓮は心の中に「闇」を持ったまま家出する。そして彼は渋谷の街をふらつく、偶然チコと言うモルモットの様な不思議な生き物に出会う。さらに毛深くて異様な生き物にも路地裏ですれ違う・・・それが熊徹との最初の出会いだった。
彼は補導されそうになって熊徹達の後を追う。そしてバケモノ達の街「渋天街」に迷い込む。
偶然にもここで、熊徹と百秋坊(ヒャクシュウボウ)、多々良(タタラ)のバケモノ達と出会い、蓮はしぶしぶ熊徹についてゆく。熊徹は蓮を自分の弟子にしたいようであった。そして蓮が9才であることからバケモノの世界では九太(キュウタ)と呼ばれるようになる。
その夜から九太はバケモノの世界で暮らすことになる。しかし熊徹と九太の仲はいつまでたっても最悪で、なかなかうちとけることが出来なかった。
このバケモノの世界では人間は心に「闇」を持つ生き物として恐れられていた。この「闇」が大きく広がれば手がつけられなくなる・・・・これが人間とバケモノが一緒に住めない理由であった。
でも九太は熊徹の弟子になることに決めた。熊徹は九太に剣術を教えるが、教え方が下手で九太はまごつく。九太は弟子の役目として、掃除や洗濯、料理など熊徹の身の回りの世話をする。
ある日熊徹は宗師から各地の賢者達に会いにゆきなさいと言われる。各地の賢者に会って自分の心を鍛えろということだ・・・・・熊徹は弟子と仲間を連れ、しぶしぶ旅をする。
賢者達は彼ら一行に、貴重な「教え」を伝授してくれる。しかし熊徹にはあまり効果が無い模様であった。
結局、どこの賢者も「独創的」で、「自分で自分の生きる道を見つけろ」と言うことらしい。つまり何にでも「なりきれ」と言うことなのか?
あの旅以来、九太は剣術修行に一層精を出す。次第
に熊徹と九太は打ち解けてゆく。
それから8年の歳月が流れた。九太は17才になっていた。
九太はふとしたことから、人間界に舞い戻る。図書館に行って本を手に取るが漢字が読めないことにがくぜんとする。九太は小学校からまったく学校に行っていなかった。
九太(蓮)はここで女子学生の楓(カエデ)と知り合いになる。彼女は蓮に勉強を教える。これ以来蓮はしばしば人間界に出かけるようになる。
蓮は街で偶然 父親とすれ違う。父は蓮のことを覚えててくれて、思わず父に抱きしめられる。
蓮は熊徹に別れを言い、本当の父と暮らしたいと熊徹が止めるのも聞かず人間界に戻ってしまう。ところが本当の父と会っても、蓮の心は晴れない・・・・心の「闇」が広まって行くばかりだ。でもこの「闇」を楓は鎮めてくれる。
バケモノの街では熊徹と猪王山の闘いの日取りが決まっていた。
猪王山の次男 二郎丸(ジロウマル)は九太に優しく接してくれる、ところが長男の一郎彦(イチロウヒコ)は九太に乱暴をはたらく、九太は彼の胸に「闇」が渦巻いているのを見て驚く・・・自分と同じ「闇」を一郎彦も持っている、何故なのか。
競技場で闘いが始まろうとしていた。蓮は密かに競技場に向かう。
闘いの序盤、熊徹が押していた、しかし中盤からスタミナが切れ、猪王山に押し返される。熊徹は猪王山に弾き飛ばされ、勝負あったかに見えた時、九太が現れ大声で勇気づける。
熊徹は生き返ったように猪王山に向かって、全力で突進してゆく。熊徹の鉄拳が猪王山の顔面をとらえ、猪王山は崩れるように地面に倒れる・・・・熊徹の勝利だ。
その時、熊徹の体を剣が貫く、一郎彦が念道力を使って猪王山の剣を操作し熊徹を襲ったのだ。
一郎彦の体は「闇」に覆われ、「闇」に支配されてゆく・・・・もう誰にも止められない。
熊徹は瀕死の重傷を負って布団に横たわっていた・・・・・もうだめなのか。果たして熊徹は死んでしまうのか、そして「闇」に支配された一郎彦は九太に襲い掛かるのか、是非映画を観てね。
ネタバレ
実は一郎彦は人間の子供であった。猪王山が渋谷の路地裏で偶然見つけた捨て子を拾って育てたのだ。しかし一郎彦は父親と違って、牙が生え鼻が伸びてこないことを不審に思い、成長するにつれ「闇」を心に宿してしまったようだ。
九太(蓮)は人間の街に出てゆく、一郎彦と戦う前に楓に会うためだ・・・・これが楓と会う最後の機会になるかも知れない。
ところが蓮と楓の前に一郎彦が現れる。
一郎彦は楓が落とした本(ハーマン・メルヴィルの白鯨)を見て、巨大なクジラの形に変身する。巨大なクジラに変身した一郎彦は執拗に蓮と楓を追う。
クジラは道路を走る車や歩道を歩く人々を通り抜け蓮と楓を追いかける。そして車を押しのけ大破させる・・・・巨大な影を見て人々は恐怖心を募らせる。
追いつめられた蓮と楓は地下鉄に乗って逃げる。明治神宮駅で下車した彼らはさらに逃げるがクジラになった一郎彦からは逃げることが出来なかった。
蓮は一郎彦と闘うと腹を決めた。蓮は自分の心の「闇」の中にクジラに変身した一郎彦を吸い込み、自害するつもりであった。
ところがそこに つくも神に転生し太刀に姿を変えた熊徹が現れた。熊徹の魂が宿った太刀を蓮は胸に受け入れる。
そしてクジラの一点を目指して九太は炎の剣を振り払う・・・・・一郎彦は胸の「闇」を切り裂かれ、クジラもろとも消滅する。
一郎彦は自分そのものだと九太は言う、バケモノに育てられた「バケモノの子」だ。
一郎彦は眠りから覚めた、自分が何を仕出かしたのか、全て夢の中の出来事の様に感じる。もう「闇」は消えていた。
九太(蓮)はこれから、心の中の熊徹と一緒に生きてゆく。バケモノ達は皆で九太を祝う、そこに楓が現れる。バケモノの街には花火が上がりにぎやかだ。
それ以来九太はもう渋天街に戻ることは無かった、父と一緒に暮している。もう剣士ではなくなったが、心の中に熊徹と言う強い剣を持つ剣士であることは間違いない。
レビュー
バケモノの世界は素朴で質素だが、みんな幸せそうに暮らしいてる。ところが人間社会には、渋谷街のように人と物があふれ、便
利になっているようだが、かえって孤独な人間を多く生み出しているんだね。
人々の心の中は虫食まれ、「闇」が広がっている。こんな都市が生んだ異常者の世界をテーマにした「ナイトクローラー」(他人の不幸をエサにして生きている異常者の物語)と言う映画が最近話題になっている。
一郎彦も蓮も心に「闇」を持った弱い人間だね、一郎彦はハーマン・メルヴィルの「白鯨」を見てモビィ・ディックのような復讐心にとらわれた巨大クジラに変身してしまう・・・・・「白鯨との闘い」を参考にしてね。
蓮も心の中に「闇」を持っているが、熊徹や楓によって平常心が保たれているんだね。結局 熊徹が「神」に転生し蓮を助けるわけだが、あの元気な熊徹がいなくなってしまうのは少し寂しいね。
この物語のように、人間が知らず知らずのうちに「バケモノの世界」に紛れ込むストーリーは多い。普通「バケモノの世界」は不気味で、人間とバレてしまうと食べられてしまう・・・・怖いね。
ところがこの映画での「バケモノの世界」は人間の世界より快適そうだね・・・・・少し昔の日本のようだ。
宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」(興行収入歴代№1 304億円)も人間が「バケモノの世界」に紛れ込むストーリーだね、でも「バケモノの世界」は不気味で予想のつかない面白さだ・・・・・細田守監督は才能豊かな監督だけど、宮崎駿監督と同じジャンルで戦うにはまだ厳しいね。
でも「サマーウォーズ」なんかを観てると、このような分野では細田守監督は凄い才能をみせる。冒頭にも書いたけど、どうしても「ジブリアニメ」の影響を受けちゃうよね・・・・だから彼らしい「もっと個性のあるアニメ」を目指して欲しいね。
まあ、僕なんか暇に任せて映画を観て、文句ばっか言ってるわけだけど・・・・・老人のたわごととして、ご勘弁願いたいね。
辰々
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