サマリー
★★☆☆☆(そこそこ面白い)
2018年12月公開のボケ老人ヒューマンドラマ
監督・撮影・語り 信友直子
出演 父・母
「良い伴侶に恵まれたら人生の半分は成功」とよく言われるが、連れ添って60年、ボケるまで一緒に居られるのは幸せなのかもしれない。この映画を観てそんなふうに思った。
監督の信友直子が父・母の老いてゆく様子を泣きながら1200日撮り続けたドキュメンタリー映画だ。「ぼけますから、よろしくお願いします。」とは母の言った言葉だ。
母は87才、最近おかしいので病院で診てもらったところアルツハイマー型の認知症と診断された。95才の父は頭はしっかりしているが耳が遠い。
信友直子は一人娘だ。両親の住む呉市に生まれ、東京大学を卒業して東京で映像制作の仕事をしている。自身、乳がんを患い、失意のどん底に突き落とされるも両親の支えがあって復活している。
そんな両親が母は認知症、父は老いと今は闘っている。父は95才になっても活字を読むことを怠らない。そして英語の勉強までしている・・・死ぬまで意欲は途切れない。父は文学青年だった、戦争の為大学進学をあきらめ、入隊する。
そして運よく生きて帰ってくる。お見合い結婚で8つ年下の母と結婚して私(監督)が生まれる。父は中小企業の経理一筋で生きてきた実直な男だ。それに「男子厨房に入らず」を地でいった人で家事は母任せ。
そんな、家事を担ってきた母の認知症で、父は95才から家事をするようになった。母は認知症が進行し、何も出来ない自分に腹立たしくヒステリーをおこす。
「死にたい」とか「殺してくれ」と泣き叫び父を困らす。父はそんな母に「死にたいなら死ね」と怒鳴って、母をなだめる。母の認知症がひどくなり、もう二人では生活がきつくなる。
娘はホームヘルパーをたのんではどうかと父に相談する。ほどなくヘルパーさんがやってきて、家の掃除とか洗濯とか料理を作ってくれるようになる。両親はヘルパーさんに迷惑をかけると恐縮し通しだが、そうでもしなければ生活が成り立ってゆかないのだ。
母はデイサービスにしばしば連れて行ってもらう。同じ境遇の人たちと楽しくおしゃべりをして母は大満足だった。しかし、そのうち母は朝起きられないようになる。布団の中で泣きじゃくる母を父は一人残して朝食を食べる。暫くして起きてきた母は父がむいてくれたリンゴを食べる。
父は腰の曲がった姿で近所のスーパーに買い物にゆく。足がふらふらで無事に帰って来られるのか心配だ。二人での生活は毎日つらいものがあるが父は運命を受け入れている。
父と母は寄り添って暮らしている。きっと二人とも幸せに違いない・・・。
レビュー
昔は人生50年と言われたが今は100年だ。かつて、親の面倒は子供がみる時代だった。しかし、今や核家族、誰も面倒をみる人がいない。従って、ホームヘルパーを頼むか養老院に入るしかない。
人間は一人で生まれ、周りに迷惑をかけながら独り立ちする。そして死ぬときも周りに迷惑をかけて一人で死ぬ。命の循環と言えばそれまでだが、それにしてもあまりにも長い老後だ。
人間それぞれに寿命があり、いつ死ぬか決められない。日本の自殺者は2万2000人と高い水準にあるが、自分の生まれながらに持っている「生」は全うすべきだと思う。
老いは決して見苦しいものではない。しかし老人をいたわる社会にしないとこの国の行く末はおぼつかない。僕は60代で四捨五入70才だ。仮に100才まで生きるとすればまだ30年以上ある・・・気が遠くなるほど時間がある。
だから、働けるなら80才くらいまで働きたい。それがこれからのライフスタイルではないか、少々働いて、あとは趣味に時間を当てる。
ただ、この映画のように認知症だけは怖い、自分が自分では無くなってゆくのだから。この分野の医学が進歩するのに期待したい。自分も認知症にならないように努力しなければいけないね。
若い人は、遠い世界の出来事のように思うかもしれないが、けっこう速いスピードで老人になっちゃうかもね。その時にはあわてないように。
TATSUTATSU
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